かつての武家屋敷街、具体的にはどこ?

「かつての武家屋敷街が現代でも高級住宅街である理由」ではかつての武家や明治時代の華族、外国大使の居住エリアが現代においても高級住宅街としてステータスを保持していた理由を記載しました。
では具体的なエリアがどこにあたるか解説します。

武家屋敷の種類

江戸に常住する「大名、旗本、御家人」とされる武家には、幕府から用地が与えられ、そこに建築された屋敷が「江戸藩邸」と呼ばれるものです。
大名には江戸城周辺および江戸郊外に複数の用地が与えられ、それぞれに役割を持っていました。

大名が住まい、江戸における藩政を司る機能を持つ「上屋敷」、隠居した主人や大名の跡継ぎが住む「中屋敷」、別邸として、江戸城からは少々離れるものの広大な土地で庭園などを擁した「下屋敷」があります。
以下に、それぞれの役割を持った屋敷が存在した地域を記載します。

上屋敷、中屋敷

千代田区:丸の内、霞が関、紀尾井町など(現在の丸の内ビル群、官庁街、オアゾ、帝劇、国際フォーラム等)
港区  :六本木、新橋、赤坂、虎ノ門、三田、芝など(現在の慶應義塾大学、東京ミッドタウン、綱町三井倶楽部、汐留シオサイト、ホテルオークラ東京本館、六本木ヒルズ毛利庭園等)

下屋敷

文京区:駒込、小日向など(現在の六義園、東京大学本郷キャンパス等)
新宿区:新宿御苑、市ヶ谷、戸山など(現在の新宿御苑、戸山公園等)
渋谷区:代々木など(現在の明治神宮等)
港区 :六本木、麻布、白金台、高輪など(現在の有栖川宮記念公園、八芳園、オーストリア共和国駐日大使館、芝離宮恩賜庭園等)
中央区:築地など(現在の築地市場)

上記の通り、かつての屋敷は現在の東京におけるランドマークであったり、都民の憩いの場として高いステータスを誇っています。
本ブログでは、「正しい知識、理解による正しい資産価値の把握」をテーマとしており、別稿「東京湾岸エリア(東京の新しい「郊外」)の資産性」で記述しているように、マンションデベロッパーによる喧伝で本来の価値から逸脱している湾岸エリアについても、湾岸エリアを貶める意図はなく、正しい価値と照らし合わせて割高か割安かを判断して頂く材料が提供できれば良いと考えています。

実際、上記の理解を深めるほど、湾岸エリアは「都心に組み込まれた」のではなく、「東京に新しい郊外エリアができた」と考えるほうが自然であると考えられます。

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